坂井先生は考古学がご専門で、永年にわたりポンペイでの
遺跡発掘に携われてこられました。
今回はその実地のご経験から、被災までのポンペイの繁栄の様子、
被害の模様、そして「なぜポンペイは(被災当時に)復興されなかったか?」
といった、大変興味深い内容の数々についてお話頂きました。
(噴火前のヴェスビオ周辺の繁栄を描いた壁画)
ポンペイ噴火が起きた後1世紀は、ローマの繁栄はすでに中心(イタリア
このような経済情勢がポンペイが復興されなかった原因の一つとして
考えられるのでは、という考察でした。
一方で、17世紀以降も頻繁に噴火してるヴェスビオ火山ですが、
以降は都度都度復興し、現在はイタリアでも有数の人口集密地域
となっています。
(18世紀のヴェスビオ火山噴火の様子)
町の標語を紹介して締めくくりたいと思います。
"Posto fata resurugo"
(ラテン語で「災厄のあとにも我立ち直る」)
ご参加いただいた皆様、坂井先生、誠にありがとうございました。
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日本イタリア京都会館